20インチ光電子増倍管
昭和54年(1979年)、東京大学理学部の小柴昌俊教授の要請により、晝馬輝夫(社長)らが同教授の研究室を訪れた。用件は、陽子崩壊観測実験に使用するための大口径光電子増倍管の開発依頼であった。同教授は実験計画の中心的存在で、この実験のための観測装置を発案した。小柴教授は言った。「直径25インチのホトマル(*1)を作ってくれないか。」
大口径光電子増倍管については当時、イギリスのEMI社で8インチ径光電子増倍管の開発が進められており、当社においても同年春から8インチ径の半球状光電面を持つ光電子増倍管の試作に着手したばかりであった。しかし小柴教授の要求はこれらとは桁違いであった。25インチ径といえばテレビのブラウン管並みの大きさである。
この頃、アメリカにおいても同様の陽子崩壊観測実験計画が進んでいた。それは、5インチ径の光電子増倍管を数千個も使用し、規模的にも日本の計画の倍以上のものであった。この計画を耳にした小柴教授は、陽子崩壊の証となるチェレンコフ光(*2)の検出精度を高めることで規模での劣勢を補い、何とかアメリカよりも早く成果を上げたいと考えた。陽子崩壊は大統一理論(*3)では予言されているが、未だに実験による証明はなされていない。
25インチ径光電子増倍管。それは軽々にその開発を承諾できる代物ではない。しかし教授の熱心さに打たれ、晝馬は考えた末に首を縦に振った。「とにかくやってみろ。」晝馬のひとことで同年12月、試作指図がスタートした。開発は電子軌道設計を技術部電子管グループが、測定および評価を技術部基礎計測グループが、試作全般を製造部第5部門がそれぞれ担当した。各種検討の結果、20インチ径光電子増倍管を開発することとなった。
陽子崩壊観測実験は、陽子が崩壊した際に発せられる高エネルギーの荷電粒子によって発するチェレンコフ光を光電子増倍管で捕らえようとするものである。そこで、この光電子増倍管は、さまざまな角度から飛んでくるチェレンコフ光をキャッチしやすいよう、また製法上でも耐水圧上でも都合の良いよう半球状の受光面を持つものとし、先行して試作していた8インチ管をベースにその開発を行った。半球面状の受光面を持つ5インチ管とは異なり、8インチ管の受光面は半球を少し潰したラグビーボールのような断面であった。これが、時間特性や光電子の収集効率を重視する20インチ管にとっては恰好の形状だったのである。
電子軌道設計では、時間特性(*4)が2ナノ秒以下という非常に厳しい条件のもと、光電子収集効率の向上に重点を置き、光電面の各々の位置から第1ダイノード(増倍部)までの光電子の走行時間差と、第1ダイノードへの入射角度について特に注意を払いながら作業が進められた。結果、時間特性2ナノ秒こそ実現できなかったものの、試作では4ナノ秒という値を記録するなど設計精度の高さを実証した。
次に光電面形状と集束電極部の設計に基づいて、光電子増倍管全体の構造設計を行った。陽子崩壊実験では光電子増倍管を水中に長期間にわたって沈めるという点を考慮し、水に直接触れるガラスバルブにはハリオ32という耐水性に優れたガラス素材を採用した。ハリオ32はフラスコや電子レンジ用食器、コーヒーサイフォンなどに使われている耐熱性にも優れたガラスで、膨張係数が32と小さくて硬い。この種のガラスの光電子増倍管への採用は、これが初めてであった。
20インチPMTの封止作業
20インチ径の光電子増倍管の試作は、昭和55年10月より行われた。中でも最大の難関はガラスバルブとステムの封止作業であった。これには当時、ガラス作業全般の指揮をとっていた、当社におけるガラス加工の第一人者があたることとなった。封止口が10インチ径で、硬く肉厚(4mm)のガラスバルブは通常のガスバーナーでは容易に加工できず、封止用として10連の水素ガスバーナーを使用し、さらに徐冷用に2台の大型バーナーを併用する大型ガラス旋盤を必要とした。
しかしこの封止による高熱はダイノードを酸化させ、ゲインの低下につながった。そのため徐冷時間を短く切り上げると、封止口の両側5cmの部分に歪みが生じて割れてしまうのである。そこでガラスバルブの厚さを4mmと薄く均一化することと、徐冷方法の改善によってこれを乗り切ったのだが、封止作業は内部の窒素ガス置換作業を含めて約1時間にも及んだ。
このバルブ材料として採用されたハリオ32は、堅牢で割れにくいという特性を持ち、大型管には最適なガラス素材である。しかし4mmの厚さで均一にガラスバルブを吹き上げることはまさに至難の業であった。ハリオ32のバルブ吹き上げ技術者は、その経験と努力の末にこれを解決して安定的な供給を可能にし、これによってコンスタントな生産が行えるようになった。
水圧に対する特性については、大型の耐圧試験機を設計して測定した結果、8気圧以上の圧力に耐えられることが判明した。また、輸送時の万が一の破損を考慮して光電子増倍管の爆縮具合も調査した。落下実験では、覆われたビニール袋によってガラス破片の飛散は防ぐことはできたが、爆縮の際の音は周囲にとどろいた。
ダイノードなどの電極類の重量は組み上げると2kgを超え、従来の光電子増倍管とは比較にならなかった。また、コスト削減のために電極に使用するステンレス板には、従来から使用されていた高価な電子管用非磁性ステンレスに代えて、家庭用流し台などに使われる廉価な汎用ステンレスを初めて採用した。ダイノードは75mm角の大型ベネシアン・ブラインドタイプ(*5)を用いた。これによって20インチ管を、非常に広角視野型の光電子増倍管とすることができたのである。
電極の支持には、7mm幅のステンレス板を使用した。さらに耐振性を向上させるために電極保持には大型の板バネを使用し、ステムはリード線上部をガラスリングで固定して強化を図った。また、ベネシアン・ブラインド型ダイノードは光の入射位置に対するアノード出力の均一性アップのため、すだれ状の電極をその中心から対称に配置する工夫がなされた。ダイノードへのアンチモン金属蒸着には、高感度化で実績のある技法が採用されて効果を上げた。このように、それまでに蓄積された数多くの高い製造技術が、この20インチ径光電子増倍管の開発のために集大成されたのである。
光電面の活性化作業は第6部門が担当した。当初、ガス抜きのために2日間かかってベーキングを行い、3日目に光電面をつくるという工程で臨んだが、何しろ20インチ径という巨大な光電子増倍管である。うまく光電面ができるかどうか、1本目の光電子増倍管が完成するまで不安な日々が続いた。しかもアンチモン蒸着などの作業は、すべて排気作業を行う者の目と勘に頼る以外に方法はなかった。また、従来の光電子増倍管はその取り付けから切り取りまで手に持って作業するが、20インチ管は光電子増倍管を固定したまま作業者がその周囲を動いて作業をするのである。作業者は防爆面がついたヘルメットを被り、踏み台を使って大型排気台のテーブルの上に乗り、取り付けから光電面の作成、切り取りまでを行った。
光電面製造過程の酸素放電の色も見ごたえがあり、またアンチモンを蒸着し、カリウムを反応させると一瞬にして見事に理想的な光電面の色合いに変わり、排気台を囲んだスタッフから歓声が上がった。まさに感激の瞬間である。排気台には初めて本格的に4インチ型油拡散ポンプを採用した。活性用の炉は上下に2分割された横型据置炉を使用したが、実際の生産用には光電子増倍管を立てて取り付けて縦型の電気炉を使った。光電子増倍管は保安のために金網で覆い、移動はクレーンで行った。
新しい光電子増倍管を開発する場合、光電面活性の条件がなかなかつかめず、何度も失敗を重ねながら追い込んでいくのが常であったが、この20インチ管は1本目から波長400ナノメートルの量子効率が目標の20%を超え、ゲインも2本目で100万倍を突破した。すでにこの時点で開発の大半を終えてしまったのである。当社における多くの試作開発の中でも、これだけの大型管球の開発がわずか数本を作ったのみで特性の目標を達成し、成功を収めたのは極めて異例のことである。
特性評価は大型の暗箱を製作し、これに分光器や発光ダイオードを取り付けて測定を行った。当初、アノードにおける感度の均一性が悪かったため、第1および第2ダイノードの形状や組み合わせを変更してこれを改善した。
東京大学からの当初の要求は特に時間特性に重点が置かれていたが、開発の後半になってエレクトロン(e)とミューオン(μ)(*6)を区別するためにシングル・フォトエレクトロンの分解能の向上を強く要請された。当時のベネシアン・ブラインド型ダイノードは収集効率が低かったために信号が小さく、この点では特性的に充分なものであるとは言えなかった。しかし、光電子増倍管を実際に使用する水温条件にまで冷却すると暗電流が低下してSN比(*7)が改善され、使用可能と判断された。尚、この2つの特性は、後年のさらに大規模な実験施設「スーパーカミオカンデ」で採用される20インチ径光電子増倍管の開発時に、大幅な改善をみることとなる。
昭和56年1月、試作管を東京大学に納入、翌2月に事実上の開発が終了した。試作管はわずか20本、試作に要した期間も5ヶ月という短いものであった。この試作管はR1449として登録され、2月25日、東京大学・高エネルギー物理学研究所より20インチ径光電子増倍管の開発完成が新聞発表された。
こうしてR1449の本格的な生産に着手した。生産は豊岡製作所において第7部門が担当し、約30名のメンバーでスタートした。
生産を開始した当初は歪みによるクラック(ひび割れ)やゲイン低下などの不良が発生してその対応に追われたが、 通算の良品率は70%と高い値であった。この生産は同年5月に完了した。
こうして昭和57年5月、岐阜県吉城郡神岡町の神岡鉱山の地中に設けられた東京大学宇宙線研究所の核子崩壊観測実験施設(カミオカンデ 【KAMIOKANDE; KAMIOKA Nucleon Decay Experiment】)へ、世界最大の20インチ径光電子増倍管1050本を完納した。地下1000メートルに設置された大水槽の内面には、壁にも床にも天井にもR1449が取り付けられた。そして1000個の大きな目が、陽子崩壊の瞬間を捕らえようと静かに睨み続けることになった。
カミオカンデ内部に取り付けられた光電子増倍管 (ご提供:東京大学宇宙線研究所)
観測は昭和58年7月から始まり数ヵ月後、小柴教授はこの装置から得られるデータが予想以上に良質であることを確認した。これは、ひとつにはR1449の性能の高さを証明するものであり、また、カミオカンデがその高いチェレンコフ光検出感度によって、陽子崩壊観測以外にも太陽ニュートリノまで観測できる可能性を持っていることも示していた。そして、同教授はさっそく装置の改造計画を進めることとした。改造は主にタンクと岩盤の間に外水槽を設け、そこに大口径光電子増倍管(R1449)を増設することと、純水装置、R1449で捕らえたチェレンコフ光を解析するためのデータ解析装置を、追加ならび強化することであった。
昭和61年暮れに改造は終了し、翌62年1月からカミオカンデは陽子崩壊観測に加え、太陽内部で起こる核融合反応によって発生するニュートリノの観測も行われるようになった。これは太陽から飛んでくるニュートリノが3000トンの超純水を満たした水槽を通過する際に、ごく稀に発するチェレンコフ光をキャッチしようという仕組みで、そのためのセンサとなるのがR1449である。
こうしてカミオカンデは、陽子崩壊の瞬間を待ち続けると同時に、約9日に1回の割合で太陽ニュートリノを検出していた。
そして、カミオカンデから思いもよらないビッグニュースが発せられた。昭和62年2月23日午後4時35分、17万光年離れた大マゼラン星雲の一角に現れた超新星1987Aからのニュートリノをキャッチしたというのである。地球近くで生じる超新星爆発は、数百年に一度しか起こらないといわれるものであり、実際、肉眼で見えるものとしては1604年以来の出来事であった。まさに希有な好機を見事に捕らえたのである。
この時は、1平方センチメートル当たり、百億個のニュートリノが降り注ぎ、タンク全体には2×10の16乗個が降り注いだと推測されたが、その内、タンクを満たした水の電子と衝突現象を起こしチェレンコフ光を発したものは、わずかに11個であった。ともあれ、超新星ニュートリノの観測は世界で初めてであり、素粒子により宇宙を探る「ニュートリノ天文学」の幕開けを告げる暁鐘となった。
これは、当社にとっても輝かしい成果である。水槽内に組み込まれた世界最大の光電子増倍管1000本余りが4年間にわたって水中で正常に作動を続け、期待通りの性能を発揮することで、天文学の新しいページを開く快挙の一翼を担うことができたのである。
さらにこの観測が、小柴教授が定年退官を迎えるわずか1ヶ月前に成功をみたことが関係者の感慨を一層深めることにもなった。
スーパーカミオカンデ(SK)内部(ご提供:東京大学宇宙線研究所)
こうして、初期の目的であった陽子崩壊の観測こそ果たせてはいないが、人類初の超新星ニュートリノ観測に成功したカミオカンデはその後、陽子崩壊観測が一段落し、この実験装置が引き続きニュートリノの観測に威力を発揮していることから、通称は「カミオカンデ」と変わらぬものの、正式名称を「神岡核子崩壊実験装置 (KAMIOKA Nucleon Decay Experiment)」から「神岡ニュートリノ検出実験装置 (KAMIOKA Neutrino Detection Experiment)」へと改めた。そして同年(昭和62年)8月、東京大学から「スーパーカミオカンデ(大型水チェレンコフ宇宙素子観測施設)」計画が発表された。これは、近年の大統一理論の主流が陽子の寿命を10の34乗年と予測していることを受け、カミオカンデの性能を10~100倍にアップさせた陽子崩壊およびニュートリノの観測装置を、平成7年度完成を目処に建設しようとする計画で、総予算は約87億円に上る。このスーパーカミオカンデは、カミオカンデから約900m離れた神岡鉱山の地下約1000mに建設された。そして直径39.3m、高さ41.4mの巨大水槽は、カミオカンデの約16倍にあたる5万トンもの超純水で満たされることとなった。当社はこのスーパーカミオカンデに使用される20インチ径光電子増倍管を11200本受注し、R1449にさらに改良を加えた20インチ径光電子増倍管R3600-05として完納した。
小柴昌俊 東京大学名誉教授は2002年12月、「素粒子ニュートリノの観測による新しい天文学の開拓」によりノーベル物理学賞を受賞されました。心よりお祝い申し上げます。
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